投資と節約で頑張るアラフォーパパ

40代平凡サラリーマンの奮闘

「高いからいいもの」って、本当?

先日、久しぶりにショッピングモールへ行った。
目当てはバッグ。
普段使いできて、ちょっとしたお出かけにも持てる、そんなものを探していた。

 

目にとまったのは、価格もちょうどいい1万円のバッグ。
色も形も「これ、好きかも」と思えた。


ところが、そのすぐ隣に、なんとも高級感ただようバッグが並んでいた。
値札をちらっと見ると、3万円

そして、店員さんがささっと近づいてきてこう言った。
「こっちは本革ですよ。長く使えますし、人気のデザインなんです」

ああ、来たな、この流れ。

心が一瞬、ぐらつく。

「せっかく買うなら、いいものを」
「安物買いの銭失いっていうし」
「そっちのほうが“ちゃんとしてる”感じがするかも…」

でも、ちょっと待て。
最初に「いいな」と思ったのは、1万円のバッグだったじゃないか。


素材が合皮だって、ブランドのタグがついていなくたって、
私の「好き」はそっちだった。

なんで急に、自分の気持ちよりも“高そうに見えるほう”を選びたくなるんだろう?

 

高い=価値がある。


そんな思い込みが、私たちの中にこっそり住みついている気がする。

でも、それって本当なのか

銀座や表参道に行くと、よく見かける光景がある。
プラダやグッチ、シャネルの店舗が一等地に並び、
大理石の床に美術館のようなディスプレイ。

それはもう、ため息が出るほど上品で洗練された空間だ。

でも、店内をちらっとのぞくと…ガラガラ。
買い物している人は数えるほどしかいない。

「これ、どうやって採算とってるんだろう?」
昔はそう思っていた。

でも、今なら少しわかる。


彼らは、商品を“売る場所”じゃなくて、“価値を演出する場所”として店を構えている。
あの空間は、買う人だけじゃなく、“憧れる人”のためにある。

つまり、売っているのはバッグじゃなくて、
夢やストーリー、なりたい自分なんだ。

 

ブランド品の原価を調べたことがある。

30万円のバッグでも、材料費はせいぜい1〜2万円ほど。
本革と金具とファスナー、それに裏地を合わせても、思ったよりシンプルな数字だった。

残りの金額は何に使われているのかといえば、
モデルの広告費、銀座の家賃、パリコレの演出、SNSの戦略…
“高く見せるための努力”に、たっぷり注ぎ込まれている。

もちろん、それが悪いことだとは思わない。
それを「素敵だな」「ほしい」と思える人もいるし、
その気持ちを買うのも立派な選択だ。

でも、「高いから価値がある」と無条件に信じてしまうのは、
ちょっと危ない気がしている。

 

お金って、とても便利な道具だ。
暮らしを支えて、体験を買えて、未来をつくることもできる。

けれど、気をつけないと、お金に振り回されてしまう。

「もっと稼がなきゃ」
「損したくない」
「無駄遣いしたくない」

そんな言葉が頭をぐるぐるするうちに、
“本当に欲しかったもの”が見えなくなってしまう。

 

価値って、自分が感じるものだ。
他人の意見でも、値札の数字でもない。

100円のアイスでも、
「これ、懐かしい味」って心がポカポカしたら、それはきっと立派な“価値”。

1,000円の古本でも、人生の考え方が変わるような出会いがあれば、
それは“宝物”。

一方で、10万円のバッグでも、買ったあとに「なんで買ったんだっけ」とモヤモヤするなら、
それは単なる“高い買い物”だったかもしれない。

 

バッグ売り場の前で、私は立ち止まった。
結局その日は、どちらも買わなかった。

でも、「何を選ぶか」より、「どう選ぶか」のほうが大切かもしれない。
誰かが決めた“価値”にふりまわされるんじゃなくて、
自分の「これが好き」を大切にしてみようと思った。

 

今日も、心が少し動いた瞬間があれば、
それはお金では測れない、価値ある一日かもしれない。