先日、久しぶりにショッピングモールへ行った。
目当てはバッグ。
普段使いできて、ちょっとしたお出かけにも持てる、そんなものを探していた。
目にとまったのは、価格もちょうどいい1万円のバッグ。
色も形も「これ、好きかも」と思えた。
ところが、そのすぐ隣に、なんとも高級感ただようバッグが並んでいた。
値札をちらっと見ると、3万円。
そして、店員さんがささっと近づいてきてこう言った。
「こっちは本革ですよ。長く使えますし、人気のデザインなんです」
ああ、来たな、この流れ。
心が一瞬、ぐらつく。
「せっかく買うなら、いいものを」
「安物買いの銭失いっていうし」
「そっちのほうが“ちゃんとしてる”感じがするかも…」
でも、ちょっと待て。
最初に「いいな」と思ったのは、1万円のバッグだったじゃないか。
素材が合皮だって、ブランドのタグがついていなくたって、
私の「好き」はそっちだった。
なんで急に、自分の気持ちよりも“高そうに見えるほう”を選びたくなるんだろう?
高い=価値がある。
そんな思い込みが、私たちの中にこっそり住みついている気がする。
でも、それって本当なのか?
銀座や表参道に行くと、よく見かける光景がある。
プラダやグッチ、シャネルの店舗が一等地に並び、
大理石の床に美術館のようなディスプレイ。
それはもう、ため息が出るほど上品で洗練された空間だ。
でも、店内をちらっとのぞくと…ガラガラ。
買い物している人は数えるほどしかいない。
「これ、どうやって採算とってるんだろう?」
昔はそう思っていた。
でも、今なら少しわかる。
彼らは、商品を“売る場所”じゃなくて、“価値を演出する場所”として店を構えている。
あの空間は、買う人だけじゃなく、“憧れる人”のためにある。
つまり、売っているのはバッグじゃなくて、
夢やストーリー、なりたい自分なんだ。
ブランド品の原価を調べたことがある。
30万円のバッグでも、材料費はせいぜい1〜2万円ほど。
本革と金具とファスナー、それに裏地を合わせても、思ったよりシンプルな数字だった。
残りの金額は何に使われているのかといえば、
モデルの広告費、銀座の家賃、パリコレの演出、SNSの戦略…
“高く見せるための努力”に、たっぷり注ぎ込まれている。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。
それを「素敵だな」「ほしい」と思える人もいるし、
その気持ちを買うのも立派な選択だ。
でも、「高いから価値がある」と無条件に信じてしまうのは、
ちょっと危ない気がしている。
お金って、とても便利な道具だ。
暮らしを支えて、体験を買えて、未来をつくることもできる。
けれど、気をつけないと、お金に振り回されてしまう。
「もっと稼がなきゃ」
「損したくない」
「無駄遣いしたくない」
そんな言葉が頭をぐるぐるするうちに、
“本当に欲しかったもの”が見えなくなってしまう。
価値って、自分が感じるものだ。
他人の意見でも、値札の数字でもない。
100円のアイスでも、
「これ、懐かしい味」って心がポカポカしたら、それはきっと立派な“価値”。
1,000円の古本でも、人生の考え方が変わるような出会いがあれば、
それは“宝物”。
一方で、10万円のバッグでも、買ったあとに「なんで買ったんだっけ」とモヤモヤするなら、
それは単なる“高い買い物”だったかもしれない。
バッグ売り場の前で、私は立ち止まった。
結局その日は、どちらも買わなかった。
でも、「何を選ぶか」より、「どう選ぶか」のほうが大切かもしれない。
誰かが決めた“価値”にふりまわされるんじゃなくて、
自分の「これが好き」を大切にしてみようと思った。
今日も、心が少し動いた瞬間があれば、
それはお金では測れない、価値ある一日かもしれない。