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「タラレバ」の後の「ダサい小包」に見た、愛おしい現実と、私たちを支えるもの


Netflixで一気見したドラマ『東京タラレバ娘』の余韻が冷めないうちに、原田ひ香さんの小説『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』を読み終えました。

一見すると全く違うテーマのようですが、この2作品が私の心に深く響いたのは、どちらも「東京で戦う女性」のリアルな孤独と、それをそっと支える「不格好な愛」を描いていたからかもしれません。

思わず膝を打った共感の波と、じんわりと心にしみる温かさについて、少し語らせてください。

 

🗼「タラレバ娘」が教えてくれた、東京の現実と焦燥

東京タラレバ娘』は、30歳を目前にした独身女性・倫子たちが、仕事も恋も「あの時こうしてたら」「もっとああすれば」という「タラレバ」を肴に酒を飲む物語です。

彼女たちの焦燥感や空回りは、東京で生活する多くの女性にとって他人事ではないはずです。

  • キャリアの不安: 努力しても報われない仕事、先が見えない未来。

  • 恋愛の迷走: 「結婚」という二文字がちらつき始め、純粋に恋を楽しめなくなる感覚。

  • 自己肯定感の揺らぎ: SNSなどで見かけるキラキラした同世代と比べてしまい、「私だけが立ち止まっているのでは?」という強迫観念。

倫子たちの会話は、まるで自分の心の声を聞かれているようで、耳が痛いと同時に、不思議な安心感がありました。

「私だけじゃなかったんだ」と。特に、彼女たちが「タラレバ」を卒業し、自分の人生に真正面から向き合い始める終盤の展開は、単なる恋愛ドラマを超えた、現代を生きる女性へのエールだと感じました。

「もっと可愛い服を着ていたら」「もっと若けれたら」と過去を悔いるのではなく、「今、ここからどうするか」を問いかける彼女たちの姿は、私たちに勇気をくれます。東京という広大で時に冷たい街で、私たちは懸命に自分の居場所を探しているのです。

 

📦ダサさの裏に隠された、母親の不器用な愛

 

そんな「タラレバ」の焦燥感の後に読んだのが、『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』でした。

地方から上京し、東京で一人暮らしをする娘たちのもとに届く、実家の母からの小包。その中身ときたら、タイトルの通り、本当にダサいんです。

  • 趣味ではない柄物の肌着

  • 大量の地元産の野菜や米(こっちで買えるのに!)

  • 緩衝材代わりのタオルや靴下(微妙な色合いのものばかり)

受け取った瞬間は、「これ、どうすんのよ…」とため息をつき、母のセンスのなさに少々イライラしたり、恥ずかしくなったり。親の"善意"が、娘にとっては"重荷"や"ダサさ"に感じられる。この「ダサい」という感情こそが、上京した娘たちの複雑な親への思いを象徴しているように思えました。

しかし、物語が進むにつれて、この「ダサさ」の意味が変わってきます。

小包は、都会での生活で張りつめている娘の心を緩めるための「安全基地」でした。ダサい肌着は、「体だけは冷やすな」という切実な願い。大量の野菜は、「ちゃんと栄養を摂って」という食への心配。そして、その小包の存在自体が「あなたの居場所はここにあるよ」という、言葉にならない母親の不器用で、しかし、深い愛情の証明なのです。

 

👭二つの物語に流れる「居場所」と「愛」の共通項

 

東京タラレバ娘』と『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』。描いている対象は違えど、二つの作品には「私たちがどこにいても、一人じゃない」というメッセージが通底していると感じました。

倫子たちは、時にぶつかり合い、罵倒し合いながらも、最終的には親友たちとの関係性、そして、自分の仕事という「自分で選び、自分で築いた居場所」に救われます。

一方、小包を受け取る娘たちは、母親の干渉や「ダサさ」に辟易しながらも、その小包を通して送られてくる「親が与えてくれた、かけがえのないルーツという居場所」を再認識し、愛おしさを覚えます。

東京という華やかで、その分シビアな場所で、私たちは常に「自己責任」のプレッシャーにさらされています。

恋も仕事も、自分で選ばなければならない。その緊張感で張りつめた心を、ふと緩めてくれるのが、誰かからの「不格好で、無償の愛」なのかもしれません。

タラレバを言い合う親友との熱い夜も、ダサい肌着を詰め込んだ小包も、その根底にあるのは「あなたのことが心配だよ」「あなたの幸せを願っているよ」という、飾り気のない、愛おしいほどの「不器用な愛」です。

私も、かつては実家からの小包に「またこの地味なタオルか…」と嘆息したことがあります。でも今ならわかります。あのダサさこそが、東京の冷たい風に吹かれても、私という存在の根っこが、故郷の温かい土と繋がっている証拠だったのだと。

 

🌸不格好でもいい。私たちは、愛されて生きている。

 

東京タラレバ娘』で、倫子たちが最後に自力で立ち上がったように。そして、『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』で、娘たちが母親の愛の形を静かに受け止めたように。

私たちは、完璧じゃなくても、少し不器用でも、時に「タラレバ」を言っても、大丈夫。

東京で戦う私たちの背中には、目には見えないけれど、故郷からの「ダサいけど温かい小包」が、そして、人生を共にする「最高のタラレバ仲間」の存在が、ずっと張り付いているのです。

あなたにとっての「ダサい小包」は何ですか?そして、「タラレバ」を言い合える仲間はいますか?

その不格好で愛おしいものこそが、この複雑で速い時代を生き抜くための、私たちの最高の支えなのかもしれません。